人に流されて生きてしまっている・・と落ち込んだことありませんか?
落ち込むということは、私だけが貧乏くじを引いている、犠牲になっている、不公平だと思っているかもしれません。
今回は、人に流されずに生きる方法をご紹介したいと思います。
それは、自分の問題と相手の問題を仕分けること。
私の経験を交えてお話しさせていただきますね。
私は26歳まで日本で暮らしていました。ある日、会社から帰宅しテレビで同年代の女性が海外で暮らしている番組を見て「楽しそう!私も行こう!」と思い、インスタントにオーストラリア行きを決めました。
それからオーストラリアに渡って早13年。現地で暮らして私とオーストラリア人の違いについて気がついたことがあるのです。それは、自分の幸せを追求する程度が半端なく強いということなのです。
私の中のあたりまえの生き方は、誰かの役に立とうとする、人の機嫌を損ねないように気を配る、気をつかう、迷惑をかけないようにするというもの。本当にそれらが正しいこと、美しいこと、徳のある姿だと思っていました。さらに、他人が困っているのを見たり聞いたりするとすぐ同情し、他人の喧嘩や、口論している現場に居合わせると心がざわついて嫌な気分になり、頼まれ事は嫌だなと思っても断ることはできませんでした。
しかしオーストラリアで暮らす人々は、自分が幸せかどうかを先に考えるのです。最初は理解できず、自分さえ良ければいいのかなとか、身勝手で、相手のことを思いやったりすることはないのか・・と感じたことを覚えています。
そんな私がオーストラリア人と結婚して、“自分の幸せを優先する”を肌で感じることとなりました。
彼には口癖があります。それは「It is not my problem.」(これは僕の問題じゃない)。私が「助けてあげようよ」と手を差し伸べるような事象でも、「何で?それは彼らの問題でしょ?」とバッサリ。私は、こんな冷たい人と結婚してしまって大丈夫だろうかと本気で心配になったほどです。
ただ、そこに人に流されずに生きる方法が隠れていたのです。
冒頭でもお話ししたように、その方法とは自分の問題と相手の問題を仕分けることが人に流されずに生きる方法になります。
他人の情緒不安定な感情の起伏を請け負って、自分が何とかしなくちゃとか、自分が期待に応えなきゃと思って、他人のために生きる生き方は問題を仕分けられていない状態。
一方で誰かがある事柄に困ったと思うのはその人の問題、喧嘩や口論で感情的になっているのはその人の問題、というように、他人が出した感情は自分が対処するものではないという生き方は問題を仕分けられている状態。
私は、夫のそのような考え方を冷たいとか、自分勝手だとか思っていたのですが、実は、この状態こそが自分自身を本当に大切にしている状態で、人に流されない生き方のお手本だったのです。
なぜなら、自分自身のネガティブな感情を放ったらかしにしていないからなのです。自分の内側から辛い、苦しい、悲しい、モヤモヤやザワザワが出てきて“心地よくない”“イヤだ”と私に教えてくれているのに、それを無視して人のネガティブな感情を優先してケアするというのは、自分自身の内側がかわいそうだという気持ちになりませんか?
かといって、人を助けない、手伝えるのに放ったらかしにしておくなどということでもなく、辛いと思っている自分がいる、苦しいと思っている自分がいると感じた後で、“手をかそう”という決断をしたらいいのです。それは人に流されず、自分で決断して行動している状態だからです。
もし、今あなたが人に流されて生きる生き方に疑問を抱いているのなら、日常生活の中で、この感情は相手から出たもの?それとも自分から出したもの?と仕分けてみてください。さあ、人の機嫌をとりながら生きる生き方から卒業です!